もんし録

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【仮面ライダーセイバー】謎・伏線の回収状況(31話まで)

本記事では仮面ライダーセイバーの前半戦まとめ記事をもとに、31話時点でどこまで謎や伏線が解消されたのか、検証していきます。

 

mons-hero.hatenablog.com

 

第16話から続いた「ノーザンベース仲違い編」も倫太郎が組織を抜け、飛羽真との信頼を強化した31話で終焉したと言えるでしょう。まだまだノーザンベース組が完全復活しているわけではないですが、もはやマスターロゴス、玲花の策略は皆完全に抜け出しているので、ここで一旦区切ります。

目次

 

全知全能の書 

Q1.全知全能の書とは?

世界は力を持ったある一冊の本から出来た。その本には神話、物語、生き物や科学技術なんかの源、そして人間の歴史が全て詰っていた。

物語の争点となっている世界を作る、または作り変える力を持つとされる本。この本がバラバラとなりワンダーライドブックが生まれたとされる。全知全能の書はなぜ生まれ、本だとすれば誰が書いたのか?

Q2.「世界の最後」とは?

15話の上條大地によれば、全知全能の書(の目次録)には世界の始まりと終わりが記されている。それが普遍の真理であるならば、戦いの終わりも書かれているのだろうか?

Q3.誰が大いなる力を手にするのか?

全知全能の書の復活を目論むメギド、剣と本を集めているマスターロゴス、そして「力を手にする運命」にあるとされる飛羽真。全知全能の書は復活するならば誰が手にするのか?

Q4.大いなる力はどのように使われるのか?

絶対的な力の使い道は『仮面ライダー鎧武』でも論点になっている。『セイバー』ではどのように「大いなる力」を扱うのか?

Q5.「真理への扉」の発動条件とは?

15年前と11話~15話では扉の開き方が異なっている。15年前には6冊の本が開いているような状態であり、本編では聖剣の力が使われていた。この違いに意味はあるのか?15年前に使われた本は何なのか?

ワンダーワールド/Wonder Story

Q6.ワンダーワールドとは?

そもそもこの世界の正体も明かされていない。6話でワンダーライドブックの力の源であることが明かされ、11話ではレジエルは「ワンダーワールドの偉大な力」と発言している。そうすると全知全能の書の関係とは?

Q7.ワンダーワールドが見える人の条件とは?

15話で世界が繋がり、16話以降ワンダーワールドを目視できる人間が顕れている。21話でストリウスはそれを「選ばれたから」と発言した。その真意とは。

31話でズオスは芽依に対し、メギドとなり消滅した人間は死ぬのではなく、ワンダーワールドの一部となるのだと発言した。では既に本となり消滅した人間はそうなっているのだろうか。

Q8.「Wonder Story」とは?

ルナが飛羽真に渡した絵本「Wonder Story」。1話でワンダーワールドを目撃した飛羽真はこの絵本と酷似していることに驚いていた。ワンダーストーリーの正体と、ワンダーワールドとの関係はなんなのだろうか。そして飛羽真に手渡された理由も今後の展開で明らかになるかもしれない。

 

ソードオブロゴス

Q9.組織の真の敵は誰なのか?→解決

15話で上條大地が富加宮隼人を変えた元凶として探している組織の裏切り者を指し、力を求める者とされる。隼人の発言から「あの方=マスターロゴス」である可能性が最も高い。しかし、神代玲花はマスターロゴスの発言を偽ることがあるため、まだ不明点も多い。

全知全能の書の大いなる力を求める組織の真の敵は、今のマスターロゴスであった。29話で倫太郎、30話でソードオブロゴスの面々もそれを知る事になる。彼は既に28話で存在が明かされた賢神たちも手にかけていた。

 

Q10.マスターロゴスの目的とは?→解決

「あの方」は隼人に対し、真理を手にする目的を「全ての世界を救うため、それが真の平和へと至る道だ」と示した。マスターロゴスは力を手に入れ、何をしようとしているのか。ストリウスを禁書庫に招き、プリミティブドラゴンの回収を命令しなかった真意とは?

→26話にて、マスターロゴスの目的は全知全能の書を手に入れ、世界を創り替え支配者となることと明らかにされた。自分に世界を正しく導く資格があることをタッセルやヴィクトールに強調している。28話では全知全能の書とともに世界を繋ぐ存在=ルナ、29話ではノーザンベースに眠る本も狙っている様子が描かれる。また、彼はエレメンタルドラゴンの覚醒も望んでいたことも明かされる。

Q11.神代玲花の真意とは?→解決

24話で玲花はマスターロゴスの意向を捻じ曲げた嘘の命令を剣士に伝えていた。マスターロゴスとは別の目的があるのか?煙を使ったソフィアの誘拐や闇黒剣、ワンダーライドブックの回収は誰の意志なのか?また、16話で電話越しに語っていた「次なる計画」とは?

神代玲花はマスターロゴスに忠実に動き、聖剣とワンダーライドブックを集める(次なる計画)ため暗躍していた。28話にて聖剣とワンダーライドブックのために、飛羽真に様々な試練を与え成長を促していたことが明らかとなる。24話ではマスターロゴスの意向を偽ってはいたものの、それは飛羽真を危険視した故の行動であった。

Q12.「はじまりの人」とは?→解決

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第21章「最高に輝け、全身全色。」より

23話でマスターロゴスはストリウスを「はじまりの人」と表現していたが、それは何か?21話での「今から2000年前、全知全能の書の力に魅入られた者達と、その力をめぐる戦いが始まり、初めに光と闇の2本の聖剣が生まれた。その2本の剣により、邪悪なもの達は退けられ、戦いでバラバラになってしまった本を守護するため、ソードオブロゴスが組織された」の説明のビジュアルにでてきた6人であるという可能性がある。「今の」マスターロゴスはそれに該当しないと推測される。

26話で「はじまりの人」とはワンダーワールドに降り立った5人の人間であることが明らかとなった。内訳はソードオブロゴスの創設者とタッセル(ヴィクトール)、力に魅入られ全知全能の書の力の一部を取り込んだストリウス、ズオス、レジエルの3人である。

 

Q13.ソフィアを作った本とは?

25話で玲花がソフィアに尋問した際、ソフィアがある本から生まれたことが明らかになった。そうするとソフィアは何者なのだろうか?

29話で玲花はソフィアに人間を創造する秘術が記された本について尋問している。同話でノーザンベースに眠る本(=マスターロゴスが持つ全知全能の書の力の一端を持つ本を対になる存在)が明かされたが、これは全て同一のものなのであろうか?

Q14.紫色に目が光った者は誰か?

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第1章「はじめに、炎の剣士あり。」より

1話アバンのタッセルの説明にて「本を奪おうとする悪い奴が現れ」のイメージ映像では、剣士団の中に一人目が紫色に光る者が現れ、裏切ったという内容だった。最初に戦いを始めた悪は剣士の中にいたのだろうか?

Q14.5.ソフィアが芽依に預けた鍵の正体は?

11話でソフィアが芽依に預けた鍵。30話でソフィアが探してもらおうとしたが、31話でストリウスに回収されてしまった。

神山飛羽真(仮面ライダーセイバー)

Q15.少年期の飛羽真はなぜルナに選ばれたのか?

16話でルナは少年・飛羽真の前に現れた際、「見つけた」と発言し、ワンダーストーリーを手渡していたことが明らかになった。この発言・行動の真意は何か?

Q16.なぜ火炎剣烈火に選ばれたのか?

3話で飛羽真が聖剣に選ばれた理由はブレイブドラゴンを持っていたためと推測されるが真相は明らかになったいない。

Q17.ブレイブドラゴンを手にした理由

15年前に上條大地がカリバー(富加宮隼人)とメギドを退けた直後、少年・飛羽真の手にブレイブドラゴンが握られていた。上條が飛羽真に手渡していた描写はないため、謎のままである。

Q18.セイバーとワンダーストーリーの関係

セイバーがドラゴニックナイトやプリミティブドラゴンの力を手に入れる際、ワンダーストーリーが反応する描写が差し込まれる。これらは何を意味するのか?

Q19.火炎剣烈火の真の力とは?

21話の大秦寺の回想で火炎剣烈火は「聖剣に火を灯さんとする者現れし時、星を結びて力を束ね、物語を終焉へと導く聖剣が生まれる」とされ、火炎剣烈火の力を引き出すと伝説の剣が生まれることが確認されている。飛羽真は烈火に光を灯し、人とメギドを分離する力にたどり着きつつあるが、今後どうなるのか?

Q20.飛羽真はなぜ本の力を引き出す力があったのか?

21話で飛羽真はワンダーライドブックの力の引き出しに長けていることが語られた。確かに、4話から三冊形態を使いこなし、9話ではリベラシオンなしでワンダーコンボの変身も実現していた。なぜ飛羽真にこの力があるのか?「小説家だから」説もあるが真相は明らかではない。

Q21.力を手にする運命とは?

19話でユーリは飛羽真がルナに選ばれたことから「力を手にする運命にある」という主張を持ち始めている。本当にその運命を辿るのか?またユーリは18話でアヴァロンの力を手に入れた飛羽真について「世界を守る運命を手に入れた」とも発言している。この2つの運命は今後結びつくのだろうか。

Q22.手を伸ばす泣いている少年は誰なのか?→解決

プリミティブドラゴン変身時に出現する少年の存在はなんなのか?彼を救い、力を制御することができるのか?3クール目の肝となりそうな要素である。プリミティブドラゴンが求める「あるもの」に関係するのだろうか。

27話にて飛羽真のイメージに出現する少年はプリミティブドラゴン・太古の竜そのものであった。彼は死んでしまった仲間を探し続けていたが、飛羽真が物語の続きを繋げたことで救済され、セイバーはエレメンタルドラゴンへの強化を遂げた。

Q23.「剣に生きる」は完結するのか?

9話で飛羽真が執筆を決意した仲間の剣士たちについての物語・「剣に生きる」。17話ではユーリも気に入っているが、仲間割れのため筆が進まない。この作品は完結できるのか?飛羽真と仲間の物語としては重要なアイテムである。

28話で芽依から「ロストメモリー」の続編の執筆依頼もされている。大作2本を書き上げられるのであろうか?また、飛羽真はそれを「俺たちの物語」ともする。2本は同じなのかもしれない。

Q24.3人の約束は果たされるのか?

10話で飛羽真が倫太郎と賢人(と芽依)と交わした「俺たち3人。お互いを信じ助け合う。仲間として、友人として。それが俺たちの物語になる」という約束。現状バラバラになっている3人だが、この約束の元に、再び「信じ助け合う」日は来るのだろうか。

復活した賢人はこの約束を忘れてはいないものの、世界の滅びを止める(聖剣を封印する)ために飛羽真たちとは別の道を歩んでいる。29話で倫太郎を助けに来た飛羽真がこの約束に言及している。

Q25.ルナは助けられるのか?

飛羽真が約束にこだわる根本となっている「ルナを絶対に助ける」という約束。組織の真の敵を見つけ出し、世界を守ることが果たしてルナの救出のどう繋がるのか?

 

剣士と聖剣

Q26.新堂倫太郎は組織とどう向き合うのか?→解決

「組織は家族」の立場を決して曲げない倫太郎。組織の真の敵の真相が判明したとき、彼はソードオブロゴスとどう向き合うのだろうか。

プリミティブドラゴンの救済を成し遂げた飛羽真の覚悟を目の当たりにし、組織を離れる覚悟を決めた倫太郎。けじめとして組織の真の敵を明らかにする責任を背負おうとした。仲間と共に組織を壊すのではなく、正したいという願いを飛羽真に打ち明けている。30話でノーザンベースの面々に謝罪・和解し、エクレアを食べることが出来た。

Q27.倫太郎と芽依の関係は?

倫太郎が社会経験を積む際や、剣士として悩み成長する側には必ず芽依が支えている。この関係は倫太郎をどう導いていくのか?7話のワンダーコンボ変身時のお姫様だっこは伏線なのか、単なる演出なのか。

29話でも倫太郎は芽依に自らの覚悟を語っている。30話でネコメギドとなった芽依に苦悩するが、31話で飛羽真とともに芽依の存在のありがたみを再確認。救出に成功すると同時に一度呼び捨てで呼んでいる。

Q28.ブレイズは師匠の仇・ズオスを討てるのか?

5話で倫太郎とズオスが対峙して以降、2人の因縁は続いている。23話で「キングライオン大戦記」の力でも倒しきれなかったズオスを倫太郎は倒すことができるのか?

30・31話で再び戦闘。強い敵と戦うことで力を増すズオスに苦戦するが、セイバーとの共闘で撃退、ネコメギドとなった芽依の救出に成功する。しかし今回もまた倒しきることは出来なかった。

Q29.倫太郎は家族写真を撮れるのか?

『剣士烈伝』で、倫太郎は「家族写真を撮りたい」という夢を語っている。現状賢人の自撮りのみ手にしているが、今後この夢が大きく叶うことはあるのだろうか。

Q30.富加宮賢人はなぜ生きているのか?→解決

13話でカリバーに破れ、闇に消えた富加宮賢人。消滅後に目が赤く光り、唸り声が闇黒剣と重なるような演出

もあった。彼はなぜ生きているのか。生きているとしたら闇黒剣の力とは何か。

26話で暗黒剣に切られたものは、命を落とすか闇の世界に落ちるかの二択の末路があることが明らかになった。公式HPでも上條大地により、闇の世界に送り込まれていたことが明らかとなっている。また、闇黒剣は光の剣の暴走を食い止めるストッパーの役割があり、聖剣を封印できる力を持っていた。

Q31.尾上そらの母親はどうしているのか?

尾上亮の妻であり、そらの母である女性の存在は本編では語られていない。漫画版でどのように描かれるのだろうか。

Q32.緋道蓮とデザストの関係はどう進むのか?

6話で剣斬がデザストを倒してから続く2人の因縁。剣士烈伝でデザストは蓮を「こちら側」と評価し、20話の乱戦でその確信を得ている。彼らの関係はどう進み、蓮の「強さ」の認識はどう変わるのか?

30話ではデザストに付きまとわれている様子が描かれた。メギド化の展開はありえるか?

Q33.蓮は賢人への依存を克服できるのか?

賢人の消滅後、行動基準を亡き賢人に求めてしまっていた蓮。蓮は復活した賢人とどう向き合うのか?

28話で組織の不信から、サウザンベースを離れた蓮。賢人と再会するが、戦闘となり風双剣の一本を封印され、強さへの執着を深めてしまう。

Q34.聖剣は人とメギドを分離できるようになるのか?

23話で大秦寺は烈火が人とメギドを分離する力を獲得すれば、それを他の聖剣に応用できると考えている。今後の展開でそれは叶うのだろうか。

31話で飛羽真と倫太郎の剣の打ち合いにより、水勢剣流水も覚醒した。しかし、聖剣の覚醒はマスターロゴスも望んでいるように思われる。

Q35.光と闇の聖剣にはどんな力があるのか?

18話で明かされた「最初に生まれた光と闇の聖剣が交わるとき、強大な力が生まれる」という設定。24話では最光とカリバーの同時斬りでプリミティブドラゴンを変身解除させている。強大な力は今後どのように発揮されるのだろうか。

Q36.シルエットに隠された残り一本の聖剣は何か?→解決

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第19章「炎と光、剣と剣。」より

19話でのユーリの説明「大いなる力の源でもある全知全能の書を作るには、失われた目次録を埋めるための数多くの本と、復活を導く聖剣が必要だ」。そのイメージには11本の聖剣が登場し、3本はシルエットで描写された。2本がサーベラの「煙叡剣狼煙」、ファルシオンの「無銘剣虚無」だとするなら、もう一本は誰が所有して、どんな聖剣なのか。(ちなみにイメージのシルエットのワンダーライドブックの数は19)

29話で登場した神代凌牙=仮面ライダーデュランダルが操る「時国剣界時」であった。時の剣はユーリも存在を知らないなど謎が多い。

Q37.サウザンベースに玲花以外の剣士はいないのか?→解決

10話ではサウザンベースにもノーザンベース同様の剣士がいると説明された。しかし25話時点で登場しているのは神代玲花/仮面ライダーサーベラのみであり、他は「兵士」や「衛兵」と表現されている。剣士は他にいるのだろうか。

29話で玲花の兄:凌牙=仮面ライダーデュランダルが登場した。24話の巻末付録によると、そもそもノーザンベースが実働部隊で、サウザンベースが組織の運営、意思決定を行う中央部隊の役割分担があるようである。

Q38.バハトはなぜ復活したのか?

『劇場短編 仮面ライダーセイバー 不死鳥の剣士と破滅の本』で登場したバハトは本来サウザンベースの禁書庫に封印されていた。彼はあの時なぜ封印されていたのか?また、全知全能の書の復活に聖剣が必要ならば彼はまた蘇るのだろうか?

 

メギド

Q39.ストリウス、レジエル、ズオスは何者なのか?

メギドの幹部3人。彼らも21話の説明「全知全能の書の力に魅入られた者たち」のイメージに似た人物がおり、23話ではストリウスはマスターロゴスに「はじまりの人」と呼ばれている。メギドを生み出す彼らの正体は何なのか。

26話にて、彼らが「はじまりの人」であり、全知全能の書の力の一部を取り込んだ人間であることが明らかとなった。27話でレジエルは人間の記憶を取り戻しかけると激しく拒絶している描写もあった。

Q40.ストリウスたちの目指す世界はなんなのか?

15話でストリウスたちは「大いなる力」を手に入れる目的を、世界を彼らにとって正しく美しい世界に作り替えることと語っている。人間にとっては地獄かもしれない、その世界とは一体どんな世界なのだろうか。5話でデザストがメギドの目的として語った「ワンダーワールドを乗っ取って支配する」と関係はあるのだろうか。

28話でストリウスは「この世界とワンダーワールドが一つになれば全ての人間は死に耐えるでしょう。でもその恐怖と絶望がエネルギーとなってとどまり、我々に無限のパワーを与え続ける」と語っている。

Q41.ストリウスはなぜ本や剣の知識に精通しているのか?

ストリウスは他の幹部やカリバーにアヴァロンの行き方(が書かれた禁書)、ジャオウドラゴンの生成法、全知全能の書の復活法など、彼らの行動方針を全て指示している。彼はなぜそこまで本や剣にまつわる情報に詳しいのだろうか。

Q42.聖剣を得るためにカリュブディスと禁書で何をするつもりなのか?

人間を使って大量のアルターブックを手に入れたメギドたち。ストリウスは聖剣を得るために、21、22話でカリュブディスの本を完成させた。そして23話で計画を磐石にするべくプリミティブドラゴンの禁書を獲得しようと目論んだ。カリュブディスと禁書の力が聖剣を手に入れるためになぜ必要なのだろうか。

28話で新たなカリュブディスが育ち、メギドの計画への加担が明らかになっている。

Q43.デザストはなぜ生まれたのか?

5話でカリバーの手によって復活したデザスト。彼が生まれた理由は公式HPでも謎とされている。それは今後明かされるのか?

Q44.デザストの目的はなんなのか?

15話で自らの本を奪い、メギドたちからも解放されたデザスト。20話では「世界を俺好みに染める」という発言もしている。彼好みの世界とは何なのか。デザさんぽにヒントは隠されているのだろうか。

Q45.メギドにされ、消滅した犠牲者たちは救えるのか

16話から開始された人間をメギドし変え、アルターブックを精製する作戦。21話で飛羽真と芽依は沢山の犠牲者の話を聞き、23話で「本にされた人たち」を救い出す方法を捜すことが示唆された。飛羽真たちは消えた人々を救うことはできるのだろうか。

 

タッセル

Q46.タッセルとは何者なのか→解決

1話から登場し、物語の語り部として存在するタッセル。ユーリの友人であり、12話では人間の世界にも降り立っている彼は何者なのか?21話のイメージでは彼にも似通った人物が描かれている。

26話でタッセルの本名はヴィクトールであり、ワンダーワールドに降り立った最初の人間「はじまりの人」であることが明かされた。彼は初代マスターロゴスと交わした「2つの世界を維持する」約束を果たすため、ワンダーワールドに残っていた。

Q47.タッセルが会いに行った”彼”とは何か?→解決

25話でタッセルは「彼」に会いにいくと家を出ている。その人物とは誰なのか?また、新たなカリバーが出現した24話でもタッセルは荷物をもって家を空けている。

「彼」とは今のマスターロゴスであった。タッセルはマスターロゴスを戒めるが、彼が持つ全知全能の書の一部の力でその場から消されてしまう。27話で太古の竜の少年とともに飛羽真の前に姿を現すが、その所在はいまだ分かっていない。

Q48.彼がワンダーワールド物語ワンダーライドブックを持っている理由

21話でタッセルは「ストーリーオブ光剛剣最光」を始めとして、それぞれの聖剣を綴った「ワンダーワールド物語ワンダーライドブック」を所持していることが判明した。この本は何なのか、彼は何故それらを持っているのだろうか。

ルナ

Q49.ルナは何者なのか?

幼い飛羽真や賢人と友人関係であった謎多き少女。19話でユーリは「はるか昔世界を最初に繋いだ特別な女性」との共通点を語っている。彼女の正体も今後の展開に重要な要素と思われる。

Q50.ルナはどこにいるのか?

世界の狭間に消えたルナ。ユーリはワンダーワールドにはいなかったと考えられる。25話ではマスターロゴスやタッセルも居場所を知らないことが明らかになった。飛羽真に語りかけてくる彼女はどこにいるのだろうか。

27話でタッセルは飛羽真に「早くあの子と会わなければダメだ」と語る。その真意とは?

3クール目以降で提示された謎

Q51.賢人が闇黒剣に見せられた未来は防げるのか?

 

賢人は闇の剣の力により予知された破滅の未来を防ぐため行動している。そのために聖剣の封印が必要とされているが、飛羽真たちはこの手段を変え、世界を救うことができるのだろうか?

Q52.ユーリのもとに現れた小鳥の正体とは?

タッセルを捜すユーリのもとに現れた小鳥の正体は何なのか?タッセルの肩に止まっていた小鳥との関係性は?

 

以上、前半クールで提示された謎・伏線の回収状況でした。50個中12個解決していました。残りの展開にも期待します。

 

仮面ライダーBLACKとは何だったのか?(考察)

先日TAMASHII Labから「サタンサーベル」の予約が開始された。

欲しい。

BLACKとしては周年ではないのにも関わらず凄まじい人気である。

事実としてBLACKが仮面ライダーの代表格であることには間違いない。

それには昭和と平成の狭間の時期を生きた唯一無二感もあるし、純粋なキャラクター人気もあるだろう。

今回はそんな絶妙な時代を生きた仮面ライダーBLACKの歴史的な意味合いに迫りたい。

追記:まさかの50年周年企画で『BLACK』のリブート作品『仮面ライダーBLACK SUN』が発表された。放送は2022年春。楽しみすぎる。

 仮面ライダーBLACKの歴史的意義

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基礎情報

仮面ライダーBLACK』は1987年10月から放送が開始した、シリーズ9作品目の仮面ライダーである(人数的には11人目)。劇場版も2作製作され、続編として『仮面ライダーBLACK RX』も放送された。

あらすじをまとめると、仮面ライダーに改造された南光太郎ゴルゴムの壊滅と信彦の救出に向けて戦う物語である。そして、信彦もまた、光太郎同様シャドームーンに改造されて洗脳も受けており、親友であった2人が戦う運命となってしまう悲劇性がドラマの魅力である。

BLACKの「私」的な物語

仮面ライダー50年のヒーロー像を振り返る記事と重複するが、

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 『BLACK』が仮面ライダーに起こしたパラダイムシフトは「私」的な物語を縦軸に導入した点にあると思う。

それまでの昭和ライダーではたとえ「復讐」であっても個人的な物語を戦いに持ち込むことはタブーであった。しかし光太郎は悪の手先となった親友の救出をゴールとして掲げて戦いに臨む。

80年代後半~90年代前半は東映ヒーロー番組が戦士たちの「私」的な物語を厚く描き始めた時代だった。その意味で『BLACK』はポスト・スピルバンやポスト・マスクマンとも言えるし、プレ・ライブマン、プレ・ジェットマンとも言える。これは現在のヒーローの物語では当たり前の要素であり、『魔進戦隊キラメイジャー』や『仮面ライダーゼロワン』はヒーローの「私」的な物語を肯定する発展系である。

縦軸としてのシャドームーン

『BLACK』を語る上でシャドームーンは欠かせないだろう。上記に書いた光太郎の「私的な物語」の争点はシャドームーン=秋月信彦なのである。ブラック・サンと同義の存在であり、戦いを宿命づけられた重要度において、ハカイダーを原点とするアポロガイストやジェネラル・シャドウ、シルバなどの東映ダークヒーローとは一線を画す。

ビジュアルも仮面ライダー然としており、ダークライダーの先駆けといっても過言ではないだろう。(ただ、今書籍なので仮面ライダーカウントされることには、まだモヤっとする)また、光太郎にとってシャドームーンを勝利することはゴルゴム壊滅に近づくと同時に、創世王を選ぶ「ゴルゴムのシステム」に自ら参加してしまうことにもなる。これも平成ライダーに同様の構造を見ることができるが、ヒーローを苦しめるシステムの構築もまた、シャドームーンの歴史的意義である。

まとめ

ヒーローの「私」的な物語と、悲劇を生み出すダークヒーロー。それらは『RX』では失われてしまったものの、平成仮面ライダーの礎となっていることは確かだろう。現に平成ライダーのスタッフも既にここで参加を始めている。

追記:このような平成ライダーの原点とも言える『BLACK』がリブートされる『BLACK SUN』。どのように現代的アップデートがなされるのか?令和のBLACKに期待である。

 

【仮面ライダー50周年記念】ヒーロー像の系譜(2019ー2020)

令和仮面ライダーの時代(2019~2020)

自己実現としての仮面ライダー

 令和の時代に突入。『魔進戦隊キラメイジャー』ではメンバーが社会的な自己実現を優先できるシステムとしての「戦隊」が描かれた。

 

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 どんな「私」も肯定する時代。仮面ライダーもまた、社会的自己実現を果たすことを目的に戦う仮面ライダーが現れた。キラメイジャーの記事で触れているが、社会的な自己実現は「私」物語の最終形態である。

仮面ライダーゼロワン/飛電或人はAIテクノロジー企業「飛電インテリジェンス」の若き社長である。そんな彼が物語を通して、成し遂げようとするのは「人間とヒューマギアがともに笑える社会」の実現である。それは或人にとっての自己実現であり、仮面ライダーであっても否定されることのない夢なのだ。

誰もがヒーローになれる時代へ

「人間であれ、ヒューマギアであれ、心の自由は尊重されなくてはならない。互いの垣根を越えて自由のために戦う限り、お前たちは仮面ライダーだ」

 ゼロワン最終回ではテロリストですら用いた”仮面ライダー”の称号をヒーローとして再び再定義する。そこに変身の有無は問わず自由のために戦う者は皆ヒーローになれるというメッセージが含まれていた。

最新作『仮面ライダーセイバー』でも同様のヒーロー像が提示される。

昔は強いヒーローがいればよかった。

でも今は悩み、苦しみ、それを乗り越えて強くなれば、誰もがヒーローになれる時代だ。

 これは1000年の時を越えて人間の世界に来たユーリが飛羽真/セイバーと行動をともにすることで悟った現代のヒーロー像である。今はどんな形であれ「私」の課題を乗り越えれば、誰でもヒーローとなれる時代なのだ。

飛羽真はそんな時代を生きる仮面ライダーである。彼の「世界=皆を救う」というこだわりはある時代では不可能だとされた。『セイバー』が今後どんな道をたどり、仮面ライダーシリーズがどのような ヒーロー像を切り拓いていくのか、期待したい。

 

改めて仮面ライダー50周年おめでとうございます!!

【仮面ライダー50周年記念】ヒーロー像の系譜(2009ー2018)

平成仮面ライダー2期(2009~2010)

2010年代にヒーローは成り立つか

『ディケイド』が終わり『ダブル』から『ジオウ』までの作品は平成2期と呼ばれる。

平成1期では、仮面ライダーのヒーロー像を相対化し、「仮面ライダー=ヒーロー=正義」の図式を崩した。また、後年ではヒーロー像を発展、多岐化させることで仮面ライダーの称号を再びヒーローとして再生させる動きもみられた。

平成2期は、仮面ライダーをこの時代(2010年代)のヒーローとして、平成1期の時代よりも意識的に成立させようとする。

ミニマムな領域の仮面ライダー

『ダブル』では『電王』で言及した「ミニマムな範囲でこそ成立するヒーロー像」の発展を見ることができる。コミットするフィールドを手の届く自分の街・「風都」に限定し、皆を守るヒーローを成立させている。そして「Nobody is perfect」という概念も重要だ。彼らは一人だけではダブルになることは出来ない。相棒の存在、そして彼らを「街の希望」として認めてくれる市民がいてこそ、仮面ライダーダブルというヒーローになることが出来るのだ。この補い合いで完成するヒーロー像は、その後の仮面ライダーにもよく見られる。

『オーズ』も「ミニマムな範囲こそ成立するヒーロー像」の典型である。映司が欲した世界のどこまでも届く手は、「皆と手を繋ぐこと」でこと手に入るものであると悟る。ダブル同様の一人のヒーローの不可能性も示しつつ、誰にも頼らず「私」を捨て続ける自己犠牲が必ずしも肯定されるものではないテーマも提示している。

『フォーゼ』も『ダブル』、『オーズ』の流れを汲んでいる。本作ではフィールドを高校にまで縮小し、仲間との絆で「仮面ライダー」を再現せんとした。だからこそ、仮面ライダー部との関係をきずくことでフォーゼは新たな姿を獲得する。

震災後の仮面ライダー

震災後の仮面ライダーである点も『フォーゼ』のヒーロー像を語る上で欠かせない。涙ラインのないフォーゼが目指した「明るい仮面ライダー」は学園のヒーローとして、生徒たちに受け入れられる存在として活躍した。それは「天高生徒全員と友達になる」弦太郎/フォーゼの「私」が叶うことを表していた。

 

震災後のヒーロー像の提示は『ウィザード』以降、多くの仮面ライダーで見られる。劇中でも大きな災厄の後を生きる人々や仮面ライダーを描く作品も増えた。(『ウィザード』のサバトや、『ドライブ』のグローバルフリーズ、『エグゼイド』のゼロデイ、『ゼロワン』のデイブレイクなど。)

『ウィザード』ではウィザード/晴人のヒーロー像は、震災後が意識された「今を受け入れて前に進む」というものだった。絶望して立ち止まることなく、前に進み続ける姿勢はその後の仮面ライダーにも踏襲されるものになる。

『鎧武』でも鎧武/紘汰がライバル・戒斗から認められたのは「泣きながら進む」という心の強さだった。自然災害や大人、社会のシステムなどあらゆる理不尽の壁が何度も紘汰に立ちふさがった。しかし、紘汰は友を失っていたとしても前に進み、犠牲を諦めない茨の道を進み続けた。

「前に進む」ヒーロー像のモチーフは『ドライブ』にも見られる。トラウマで止まっていた心のエンジンを再起動させて走り出すことからドライブの物語はスタートする。また、ドライブ/泊進之介は警察官という職業倫理を持つ仮面ライダーでもある。そこに、力を行使する権限=命を守る責任を全うするヒーロー像の提示も見受けられた。

ヒーローであろうとするヒーロー

2010年代後半の平成2期作品では、「ヒーロー」が重要な意味を持つキーワードとして頻繁に用いられた。理想とするヒーロー像に自らの近づけようとする仮面ライダーたちの物語が描かれている。仮面ライダーとして戦うことが自己実現(「私」)を果たすことにも繋がっていく時代である。

 『ゴースト』では、ヒーローは「英雄」として表現された。その偉人たちのヒーロー像は、タケル/ゴーストのモットーでもある「命を燃やして生きる」。タケルは、自分の命を顧みず誰かを助け、その想いを未来に繋いだ。そしてタケルは自身が憧れる英雄と肩を並べる英雄となったのである。

『エグゼイド』の中で宝生永夢は過去の経験から、「患者の笑顔を取り戻す医者」こそがヒーローという価値観を持っている。それは彼の職業倫理にも繋がり、CRのドクターとして命を救う責任を果たそうとする姿が描かれた。

『ビルド』は平成2期の仮面ライダーを集約したようなヒーロー像であった。桐生戦兎がそうであるように「ヒーローはそれを認識する人々が創りあげる」存在であるという理念が作品の前提としてある。皆に希望を託されてこそ兵器ではなくヒーローになれるのだ。

理想を掲げて何が悪い!ラブ&ピースがこの現実でどれだけ弱く脆い言葉かなんて分かっている。それでも謳うんだ。愛と平和は俺がもたらすものじゃない。一人一人がその思いを胸に生きていける世界を創る・・・。そのために俺は戦う!

このように、ビルド/戦兎は一人のヒーローの限界も知っている。だからこそ、誰もが愛と平和を胸に生きていける世界を目指してにビルドは戦ったのだ。

『ジオウ』の場合、ヒーローは”王”という言葉で置き換えられた。常磐ソウゴ/ジオウが目指す「最高最善の魔王」が作中にとっての理想のヒーロー像だ。しかし、劇中で「最高最善の魔王」とは何たるか?が具体的に語られることはない。何故ならそれは誰にも分からないソウゴの未来であり、「瞬間瞬間を必死に生きる」姿こそが仮面ライダーだからである。

自分にとっての「在りたい姿(=理想のヒーロー像)」で在ろうとするために仮面ライダーを選ぶ。そんな「私」の自己認識・自己実現としての仮面ライダーが肯定される時代。それは直接、令和に繋がっていく。

 

【仮面ライダー生誕50周年記念】ヒーロー像の系譜(2004ー2009)

平成仮面ライダー1期②(2004~2009)

仮面ライダーの称号の再生

2000年代初頭はヒーローの価値が相対化される時代ではあった。しかし、その後の『剣』や『響鬼』では再びヒーローとしての仮面ライダーを再生しようとする。

『剣』のブレイド/剣崎一真は職業ライダーであり、G3と同じく人間を守る行いが責任のある仕事として設定されている。また、同時に彼の戦う理由は人類愛である。

そこには仮面ライダーの資格(かつての「誰かを守るヒーロー像」)に「公私」をもって近づこうとする行為が示される。そして、旧来のライダーたちのような究極の自己犠牲を払うことによって剣崎の物語は完結するのだ。

職業ライダーの設定は『響鬼』も同様である。さらに、響鬼のライダーたちは魔化魍という地震や台風のような天災の分類と戦うため、ヒーローと暴力という問題からは一度解放される。そこにあるのは、シンプルな「人を助けて生きる」ヒーロー像である。

「ぼくたちにはヒーローがいる」。それは機械が苦手なおじさんかも知れないのだ。

2006年『カブト』にはヒーローの価値の破壊と再生の時代を象徴した作品像があったのかもしれない。

『カブト』は「俺は世界の中心」「正義とは俺自身」と語る仮面ライダーが主人公だった。ヒーローの価値が相対化された時代で、絶対性を自称する天道総司は異色であった。彼の戦い方や立ち振る舞いはまさに最強であり、その言葉は説得力を持っていく。しかし、彼もまた「私」のモチベーションを基盤とした人物の一人であった。

他者の為に自分を変えられるのが人間だ。自分の為に世界を変えるんじゃない…自分が変われば世界が変わる!…それが天の道。

「天の道」こそが『カブト』のヒーロー像を示していたと言える。それは揺るぎない意志を天道に授けながら、誰かの為に自分を変えることも肯定した価値観である。”絶対的な「私」を持つことと誰かの為に生きていくことは両立しうる”そんなヒーロー像が形成されている。

精神性へのフォーカス

ヒーローは力や存在そのものではなく、内面を在り方を表している。これもまた当たり前な前提であるかもしれない。しかし、天道やヒビキさんのように強くなかったとしたら、ヒーローは成立するのだろうか。

『電王』や『キバ』はその内面性を深堀した作品といえるだろう。

『カブト』と対照的に電王は「最弱」と謳われた仮面ライダーであった。

電王/野上良太郎は不運や貧弱な性質がくり返し描写された。しかし、彼は自らの意思でイマジンたちを制御し、時には「時の運行」のルールも曲げてでも、人情的な人助けを優先する。

「やらなきゃいけないと思ったらやるよ。これからも。人助けとかそんなんじゃなくて、できることがあったらやるだけなんだ。僕が電王になったときみたいに・・・。弱かったり、運が悪かったり、何も知らないとしても、それは何もやらない事の言い訳にならない。」

世界や時間という大きな何かではなく、自分の手の届く範囲の世界で出来ることをする。そんなミニマムな領域でもヒーローが成立することも示している。逆に言えば、限定的な範囲でしかヒーローは成立し得ないのかもしれない。

『キバ』はそんなミニマムな世界で紅渡が意志(私)を獲得する物語だった。ここで「私」はアイデンティティとも言い換えられる。アマゾンレベルに社会性が皆無だった渡が様々な出会いや経験を通して自分の生き方を見つけていく。成長しながらアイデンティティを模索する行為もまたヒーローになり得るのだ。

仮面ライダーというヒーロー像の破壊と再生を経てたどり着くのは『ディケイド』だ。9人のライダーの姿に変身できるディケイドだが、それはそれぞれで提示されたヒーロー像を受け継ぐことを意味しない。彼もまた、使命から逸脱してアイデンティティを模索するヒーローの一人だった。ディケイドについては過去記事で取り上げている。

 

mons-hero.hatenablog.com

 

 

【仮面ライダー生誕50周年】ヒーロー像の系譜(2000ー2003)

平成仮面ライダー1期(2000~2003)

仮面ライダーの相対化

平成仮面ライダーのヒーロー像が一口に語れないことは言うまでもない。それぞれの作品が別々の価値観を提示し続けた20年間であったとも表現することができる。

平成ライダーの初頭は「仮面ライダー」というヒーロー像を相対化し、捉え返した時代であった。もはや栄光の7人ライダーのような、私を捨て去り、正義の化身となって世界を守る戦いに全てをコミットするヒーロー像は見られず、「私」がある人間であることを前提に、その内面性が焦点となっている。

そして、「仮面ライダー=ヒーロー=正義」の図式が尽く崩されていく。

暴力の否定

まず、クウガ』では怪人を暴力で倒す正当性が否定された。守るための戦いであっても、暴力という手段はあってはならないものとして扱われる。

 『クウガ』において提示される新世代のヒーロー像は五代雄介の内面そのものである。

それは、”いつでも誰かの笑顔のために頑張れる”というものだ。

”いつも僕らを守ってくれる”とはニュアンスが異なり、正義の化身ではない。

「頑張れる」というと簡単だが、五代は究極の自己犠牲(「私」の犠牲)の人だ。五代の犠牲とは冒険に行けなかったり、人間の肉体でなくなったりと様々だが、根幹は嫌なこと=「暴力」をやらなければならないことである。それをする度に、彼の「私」の象徴である笑顔は失われていく。しかし、五代は「何故自分がこんなことを?」という方向では絶対に悩まない。誰かの笑顔のために自分に出来ることならやる、やりたい。その行動規範もまた、五代の「私」なのである。それは劇中でも「何でだよってくらい良い奴」と評されるほど綺麗事であり、それが出来る大人は少ない。だからこそ、目指すべき人間像、ヒーロー像なのだ。

また、『クウガ』において、グロンギは絶対悪で倒すべき敵だが、だからといって怪人をやっつけてくれるクウガが正義というわけではない。そこに介在する暴力は否定されるべき行いなのである。クウガはヒーローかもしれないが、存在してはいけない。誰かの笑顔のために頑張る精神性こそが讃えられるべきものなのだ。この視点は昭和ライダーやネオライダーたちのヒーロー像にはない。仮面ライダーがヒーローとしての「正義の力」という概念を失ったタイミングと言えるかもしれない。

そこに、「「私」を捨てた超然的な正義の象徴」や「正義の心を持つ「私」を内在した一人の若者」は成立しないのである。

 

一つの理想像の消失

『アギト』以降、仮面ライダーは複数登場することが当たり前となり、ヒーロー像も多様なものとなった。そこでは当然クウガ』のような一つの理想像は存在しえないものとなる。

例えば、G3は初めて職業として活動を行う仮面ライダーであった。氷川誠は警察官である。正義感の強い優れた警察官であるが、仮面ライダーを行うことには給与が発生し、生活((私))が保証されている。そこには従来のライダーが強いられた犠牲はなく、責任がある。命懸けで責任を全うするG3、そこにも新たなヒーロー像がある。

ギルスは逆境から這い上がり、自己(新たな「私」)を模索する仮面ライダーだった。力に苦悩し続け、自分と身の回りのために戦っていたが、そこにも確かなヒーロー像がある。

そして、アギト/津上翔一はそんな自己と他者(アギトと人間)の属性を包括し、皆の居場所を守る仮面ライダーだった。

一つの正義、一つの理想が失われたとき、ヒーロー像は個人(私)に宿り、どれもが両立して越境できるものとして扱われる。

仮面ライダー≠ヒーローの時代

龍騎』では仮面ライダーとヒーローをイコールで結ぶ前提すら揺るがされた。

ミラーライダーたちはバトルロイヤルを通し、他者の命を犠牲にして、自分の願い(私)を叶えようとしていた。自分のためだけに戦う仮面ライダーはヒーローと言えるのだろうか。そんな疑問が沸き起こる中で、人を守るために戦い、ライダー同士の戦いを止めようとした龍騎/城戸真司はヒーローらしく見える。しかし、『龍騎』は城戸真司を正義のヒーローの理想像として定義することはない。

この戦いに正義はない。あるのは純粋な願いだけである。

エゴ(私)を叶えるべく戦う中で、龍騎、ナイト、ゾルダ、王蛇たちは同列の存在として並ぶ。その意味で「人間は皆ライダー」であり、「特定のヒーロー像を提示する」行為は幻想であり、何をヒーローだと選択するかはこちらに委ねられた。

ファイズ』では、仮面ライダーのツール化が進み、特定の個人に紐づくものですらなくなる。ファイズ、カイザ、デルタは何人もの変身者が存在する。仮面ライダーは単なる「力」でしかなく、その力には「アギトの力」や『龍騎』同様、善も悪もない。ファイズが救世主と呼ばれたのは仮面ライダーだからではないのだ。

ヒーローがいるとすればそれは”仮面ライダーだから”ではないし、正義が不在の中で絶対的なヒーロー像は幻想である。

【仮面ライダー生誕50周年】ヒーロー像の変遷(1979ー1994)

仮面ライダーと「私」の物語(1979年~1994年)

「私的な物語」の芽生え

V3/風見志郎の家族は殺され、X/神敬介の父は自爆、ストロンガー/城茂の相棒・タックル/岬ユリコは2人の未来を提示した直後に絶命した。ライダーマン/結城丈二は「復讐」ではなく大義のために命を落として初めて仮面ライダーの認定を受けた。

このような「仮面ライダーは「私」的な要素を切り離さなければならない」というストイックさが緩んでいくのは1980年代を迎えたスカイライダーの終盤からのように思う。

スカイライダー/筑波洋は物語の終盤、生きているかもしれない両親を助けるために行動する。結局それは叶わないものの、仮面ライダーが私的なモチベーションを重視する展開は新鮮に写る。そして、『スーパー1』では、スーパー1/沖一也は「望み、望まれ」生まれた改造人間であり、ラストでは惑星開発という本来の夢に向かう。これもまた、仮面ライダー自己実現が許される転換であると言える。ただし、どちらの作品もその「私」的な物語が作中に横たわっているテーマとは言えない。『スーパー1』でさえ、縦軸として惑星開発の話が常に意識されているかといえば、そうでもないのが実態である。

BLACKを貫く「私」的な物語

「私」的な物語を抱えつつ戦い続ける仮面ライダーを描いたのは『BLACK』からだろう。

『BLACK』は「仮面ライダーになってから敵組織を滅ぼすまで」だった仮面ライダーの物語に新たな線を引いた。それはBLACK/南光太郎が「親友を救おうとする」私的な物語の縦軸である。光太郎にとって、宿敵シャドームーンを倒してしまうことはバッドエンドなのだ。彼の苦悩はドラマになり、仮面ライダーのヒーロー像を純粋な「憧れ」だけではなく、等身大の「共感」を抱かせるかたちへと変えた。勿論、このヒーロー像は1987年の『BLACK』が生み出したものでも何でもない。東映ヒーローに限定しても、戦隊では『超新星フラッシュマン』(1986年)、『光戦隊マスクマン』(1987年)が「私的な物語」の縦軸を展開しており、メタルヒーローでは『時空戦士スピルバン』(1986年)や『超人機メタルダー』(1987年)にそのムードを感じる。この直後に「友よ。君たちはなぜ悪魔に魂を売ったのか?」の『超獣戦隊ライブマン』(1988年)につながるし、その先には『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)が待っている。

「「私」を捨てた超然的な正義の象徴」から、「正義の力を持つ「私」を内在した一人の若者」へヒーローのあり方は移り変わっていく。一人の若者が正義の力を持てるのか?そもそも正義とはなんぞや?という問題提起が発生しないギリギリの時代のヒーロー像も言えるかもしれない。ただ、『RX』になり、シャドームーンの縦軸がなくなると、フォームチェンジや武装の新しさは加えつつも、ヒーロー像としては「「私」を捨てた超然的な正義の象徴」立ち返っている。

ネオライダーと「私」の物語

この観点でみると、『真』(1992年)のシン/風祭真は世界や正義のためではなく、純粋な「私」で戦う最初の仮面ライダーであった。劇中でシンは振りかかる火の粉を払うためか、恋人の願いを叶えるためにしか戦っていない。そして、ラストでは父や恋人を殺されながらも「私」の象徴ともいえる”子ども”が残る。ポスト・BLACKやポスト・ジェットマンの発展とも言えるが、シンが所謂ヒーローとして描かれることはなく、仮面ライダーの称号(力)が正義のヒーローと必ずしも結びつかない可能性が初めて提示されている。

その点『ZO』、『J』は子ども向けということもあり、バランスがとられている。基本的にはRX同様「「私」を捨てた超然的な正義の象徴」にも見えるが、関係値がある一人の少年少女の救出を中心に据えることによって、「私」があるヒーロー像が並立している。

そして、テレビ放送はなく90年代が終わった。

2000年、『クウガ』から平成仮面ライダーの時代に突入する。

仮面ライダーのヒーロー像は大きく揺れ動いていく。