もんし録

mons&hero 特撮について書きます

仮面ライダーBLACKとは何だったのか?(考察)

先日TAMASHII Labから「サタンサーベル」の予約が開始された。

欲しい。

BLACKとしては周年ではないのにも関わらず凄まじい人気である。

事実としてBLACKが仮面ライダーの代表格であることには間違いない。

それには昭和と平成の狭間の時期を生きた唯一無二感もあるし、純粋なキャラクター人気もあるだろう。

今回はそんな絶妙な時代を生きた仮面ライダーBLACKの歴史的な意味合いに迫りたい。

追記:まさかの50年周年企画で『BLACK』のリブート作品『仮面ライダーBLACK SUN』が発表された。放送は2022年春。楽しみすぎる。

 仮面ライダーBLACKの歴史的意義

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基礎情報

仮面ライダーBLACK』は1987年10月から放送が開始した、シリーズ9作品目の仮面ライダーである(人数的には11人目)。劇場版も2作製作され、続編として『仮面ライダーBLACK RX』も放送された。

あらすじをまとめると、仮面ライダーに改造された南光太郎ゴルゴムの壊滅と信彦の救出に向けて戦う物語である。そして、信彦もまた、光太郎同様シャドームーンに改造されて洗脳も受けており、親友であった2人が戦う運命となってしまう悲劇性がドラマの魅力である。

BLACKの「私」的な物語

仮面ライダー50年のヒーロー像を振り返る記事と重複するが、

mons-hero.hatenablog.com

 『BLACK』が仮面ライダーに起こしたパラダイムシフトは「私」的な物語を縦軸に導入した点にあると思う。

それまでの昭和ライダーではたとえ「復讐」であっても個人的な物語を戦いに持ち込むことはタブーであった。しかし光太郎は悪の手先となった親友の救出をゴールとして掲げて戦いに臨む。

80年代後半~90年代前半は東映ヒーロー番組が戦士たちの「私」的な物語を厚く描き始めた時代だった。その意味で『BLACK』はポスト・スピルバンやポスト・マスクマンとも言えるし、プレ・ライブマン、プレ・ジェットマンとも言える。これは現在のヒーローの物語では当たり前の要素であり、『魔進戦隊キラメイジャー』や『仮面ライダーゼロワン』はヒーローの「私」的な物語を肯定する発展系である。

縦軸としてのシャドームーン

『BLACK』を語る上でシャドームーンは欠かせないだろう。上記に書いた光太郎の「私的な物語」の争点はシャドームーン=秋月信彦なのである。ブラック・サンと同義の存在であり、戦いを宿命づけられた重要度において、ハカイダーを原点とするアポロガイストやジェネラル・シャドウ、シルバなどの東映ダークヒーローとは一線を画す。

ビジュアルも仮面ライダー然としており、ダークライダーの先駆けといっても過言ではないだろう。(ただ、今書籍なので仮面ライダーカウントされることには、まだモヤっとする)また、光太郎にとってシャドームーンを勝利することはゴルゴム壊滅に近づくと同時に、創世王を選ぶ「ゴルゴムのシステム」に自ら参加してしまうことにもなる。これも平成ライダーに同様の構造を見ることができるが、ヒーローを苦しめるシステムの構築もまた、シャドームーンの歴史的意義である。

まとめ

ヒーローの「私」的な物語と、悲劇を生み出すダークヒーロー。それらは『RX』では失われてしまったものの、平成仮面ライダーの礎となっていることは確かだろう。現に平成ライダーのスタッフも既にここで参加を始めている。

追記:このような平成ライダーの原点とも言える『BLACK』がリブートされる『BLACK SUN』。どのように現代的アップデートがなされるのか?令和のBLACKに期待である。