もんし録

mons&hero 特撮について書きます

【仮面ライダー生誕50周年】ヒーロー像の変遷(1971~1975)

栄光の7人ライダー(1971~1975)

仮面ライダーは孤独なヒーローか?

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仮面ライダーは異形の哀しみを背負った孤独なヒーローである」

哀しみと孤独。これは昭和ライダーが語られるとき、よくフォーカスされるテーマだ。彼らは改造人間ゆえの孤独を背負っており、怒りと哀しみを胸に「人間の自由」のために悪と戦ってくれる。そんな哀愁が魅力である、という言説だ。何も間違いはない。私も「ロンリー仮面ライダー」を聴きながら、悦に入るファンの一人だろうか。

しかし、実態は本当にそうだろうか。

昭和の仮面ライダーの本編を見ると、「異形の哀しみ」や「孤独」というキーワードが全てではないことは一目瞭然である。勿論それを感じるエピソードはあるものの、全体として見れば「明るく楽しいアクション活劇」が毎週描かれているのだ。逆に言えば、おやっさんやヒロインたち理解者や「少年仮面ライダー隊」のようなファンクラブまでも存在しており、真に孤独と感じる場面はもはや少ない。それらを踏まえれば、昭和ライダーでプレゼンされていたヒーロー像は、「僕らを守ってくれる頼もしい正義のヒーロー」がベースにあり、「哀しみ」や「孤独」は個性でありエッセンスだ。

当たり前な結論かもしれないが、ここは押さえておきたい。

なぜなら、「僕らを守ってくれる頼もしい正義のヒーロー」は今はもう大手を振って描けないものとなり、この時代ならではのものだからだ。

70年代「正義のヒーロー」に求められたもの

「僕らを守ってくれる頼もしい正義のヒーロー」。あえて「正義」という言葉を使った。それは、この時代の特徴を示す意味だけではなく、少なくとも昭和ライダーの作中での正義と悪はハッキリと分かれているからである。「ショッカーを倒すことは正しいことである」理論で、それを行ってくれる仮面ライダーが正義で怪人は悪である二項対立は揺るがない。怪人(改造人間)は被害者であることは前提にしつつも、怪人となってしまえば悪であり、倒すべき敵なのである。そこにヒーローが暴力を使うことに対する疑問視は見られない。この時代誰かのために戦うことは正しい行いなのだ。

しかし、皆の憧れの象徴となり、正義を背負って戦うヒーローには究極の自己犠牲が求められる。

ライダーマン以外の栄光の7人ライダーは「私」を完全に否定された存在と言える。天涯孤独か両親が殺される展開から始まり、異性と交わることもなく、戦いが終われば、次の戦いに向け仲間たちから去っていく。当然、社会的な自己実現を叶えることもなく、共に戦う仲間と信頼関係を築く以外の人間的行いは許されていない。しかも戦いが終って仲間との新たな人生を歩むことも出来ず、そのコミュニティからは姿を消してしまうのだ。

それが特に顕著と言えるのは「復讐」という「私」的なモチベーションですら御法度となっている点だ。

最初にはそれがあっても、捨てるべき価値観として後輩に指導するシーンすらある。「正義」の権化となるには「私」的な存在であってはいけない。70年代のストイックなヒーロー像が読み取れる。だからこそ、私的な物語で動くライダーマンは異色であり、ストーリーの縦軸を発生させることが出来る存在なのだ。ただ、ライダーマンの「私」の性質も、最期には否定されるものとなる。また、社会性(私的な物語)がゼロ状態からスタートしたアマゾンが唯一、言語を習得し、「社会化」を果たしているのは面白い。

 

【仮面ライダー生誕50周年】1号からセイバーまで!ヒーロー像の系譜

 

仮面ライダー生誕50周年!ロゴ&37ライダーのビジュアル公開|シネマトゥデイ

仮面ライダー生誕50周年おめでとうございます!!

昭和・平成・令和と時代を駆け抜けた仮面ライダーたち。

いつも私たちを魅了し続けてきたそのヒーロー像は、どのような系譜をたどってきたのか?TV作品をメインに50年分の歴史を振り返ってみました。

今回の記事はその目次録です。

目次

 

①『仮面ライダー』~『ストロンガー』

ボクらを守るヒーローを成立させた究極の自己犠牲

mons-hero.hatenablog.com

 

②『仮面ライダー(新)』~『J』

仮面ライダーと「私」の物語

mons-hero.hatenablog.com

 

③『クウガ』~『ファイズ

相対化される栄光のヒーロー像

mons-hero.hatenablog.com

 

④『響鬼』~『ディケイド』

再生される称号の価値、ヒーローの新たな可能性

mons-hero.hatenablog.com

⑤『ダブル』~『ジオウ』

ミニマムでこそ成立するヒーロー像と震災後のヒーロー像

mons-hero.hatenablog.com

 

⑥『ゼロワン』~『セイバー』

自己実現の肯定、誰もがヒーローになれる時代へ

mons-hero.hatenablog.com

 

「ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷」(感想・考察)

これは『ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷』の感想・考察記事です。ネタバレ有りですのでお気をつけください。

目次

 

『ゼロワン』、新たな問題提起

「人間であれ、ヒューマギアであれ、心の自由は尊重されなくてはならない。互いの垣根を越えて自由のために戦う限り、お前たちは仮面ライダーだ」

これが『仮面ライダーゼロワン』が本編でたどり着いた結論だった。人間にもヒューマギアにも悪意を乗り越えうる「心」があることを前提に、その自由を守る存在こそが仮面ライダーである、と。テロリストであった滅亡迅雷も例外ではなく、自由な意思のもと、それぞれの場所で活躍を始める姿が描かれていた。このラストの実現は、飛電或人が自身の悪意を乗り越え、イズを破壊した滅を赦した行動に紐づいている。2人の最終決戦はお互いに巣食うアークを破壊するための戦いだった。

つまり、或人の「赦し」はアークの存在をもって成り立っていたと言い換えられてしまう。大きな悪意を持つものに手段を与えるアークというシステムを倒すべき敵とし、悪意自体はそれを持つが乗り越えるという構造。それによってゼロワンのライダーたちはアークの登場以降、悪意を持つ者を直接駆逐することなく、戦いを繰り広げられたのである。劇場版『REAL×TIME』も同様であり、倒されたのは本人たちではなく、アークがもたらした手段によって現出した仮想の姿であった。

本作の敵はそんなどこか都合の良いアークの存在をあっさりと否定する。そして、迷いを生み心によって乗り越えられてしまう「悪意」よりも、迷いのない「正義」こそが永遠の争い(戦争)の引き金に相応しいとし、人間の正義の心を駆り立てようと企てる。

間違いなくこれまでの『ゼロワン』の理論が通じない敵にどう立ち向かうのか?

正義と暴力、赦しという呪い

この問題に最も悩みの姿勢を見せたのは滅であった。或人から「赦し」をうけ、「人間は滅ぼすべきではない」とラーニングした彼はアークとは無関係で人間の姿をした敵の対処に迷う。そこで不破からこう問われる。

暴力に訴えるのは、何か信念があるのか?何か理由があるのではないか、と。

対して滅は不破に問う。

俺たちが大切な者に刃を向けたらお前は赦せるのか?

それに不破は「赦すわけねえだろ、ぶっ潰す」と答える。

このやり取りで「信念や理由(正義)があれば暴力は許されるのか?」の問いにはNOが突きつけられる。許されるどころか、それが新たな争いの火種になるという答えで、これは『クウガ』とも重なるメッセージだ。

しかしこのやり取りは同時に、滅にとって或人から受けた「赦しの呪い」を解き放ってしまう。そのことが、仮面ライダー滅亡迅雷の聖戦に繋がっていく。

聖戦のラスト

仮面ライダー滅亡迅雷は「ヒューマギアの心の自由」を守ることに一点特化したバーサーカーのような存在である。リオンの命も簡単に奪ってしまった。そして驚くことに滅亡迅雷4人のボディも破壊してしまったのである。自由を守るために暴力を行使ししなけらばならない時、それは同時に彼らにとって自分たちが赦されざる者となることを示している。だからこそ自らを「extinct(絶滅)」させる。私はこれにも『仮面ライダークウガ』の当初の結末案を重ねた。アルティメットフォームとなった五代がダグバを殺した後に戦いで命を落してしまうラストだ。暴力を振うるという罪を命をもって償う、滅亡迅雷はそれをやった。

最後の咆哮が何を意味するのか。そして残った仮面ライダー滅亡迅雷に不破と刃がどう向き合うのか?続編に期待!

【仮面ライダーセイバー】前半戦の謎・伏線50個まとめ(総括・考察)

仮面ライダーセイバー前半(25話)の謎・伏線、因縁を50個まとめました。

本来2クール目の終わりは24話時点ですが、3/14~8月の最終日曜日まであと25週あったのでこのタイミングで区切りました。

目次

 

全知全能の書 

Q1.全知全能の書とは?

世界は力を持ったある一冊の本から出来た。その本には神話、物語、生き物や科学技術なんかの源、そして人間の歴史が全て詰っていた。

物語の争点となっている世界を作る、または作り変える力を持つとされる本。この本がバラバラとなりワンダーライドブックが生まれたとされる。全知全能の書はなぜ生まれ、本だとすれば誰が書いたのか?

Q2.「世界の最後」とは?

15話の上條大地によれば、全知全能の書(の目次録)には世界の始まりと終わりが記されている。それが普遍の真理であるならば、戦いの終わりも書かれているのだろうか?

Q3.誰が大いなる力を手にするのか?

全知全能の書の復活を目論むメギド、剣と本を集めているマスターロゴス、そして「力を手にする運命」にあるとされる飛羽真。全知全能の書は復活するならば誰が手にするのか?

Q4.大いなる力はどのように使われるのか?

絶対的な力の使い道は『仮面ライダー鎧武』でも論点になっている。『セイバー』ではどのように「大いなる力」を扱うのか?

Q5.「真理への扉」の発動条件とは?

15年前と11話~15話では扉の開き方が異なっている。15年前には6冊の本が開いているような状態であり、本編では聖剣の力が使われていた。この違いに意味はあるのか?15年前に使われた本は何なのか?

ワンダーワールド/Wonder Story

Q6.ワンダーワールドとは?

そもそもこの世界の正体も明かされていない。6話でワンダーライドブックの力の源であることが明かされ、11話ではレジエルは「ワンダーワールドの偉大な力」と発言している。そうすると全知全能の書の関係とは?

Q7.ワンダーワールドが見える人の条件とは?

15話で世界が繋がり、16話以降ワンダーワールドを目視できる人間が顕れている。21話でストリウスはそれを「選ばれたから」と発言した。その真意とは。

Q8.「Wonder Story」とは?

ルナが飛羽真に渡した絵本「Wonder Story」。1話でワンダーワールドを目撃した飛羽真はこの絵本と酷似していることに驚いていた。ワンダーストーリーの正体と、ワンダーワールドとの関係はなんなのだろうか。そして飛羽真に手渡された理由も今後の展開で明らかになるかもしれない。

 

ソードオブロゴス

Q9.組織の真の敵は誰なのか?

15話で上條大地が富加宮隼人を変えた元凶として探している組織の裏切り者を指し、力を求める者とされる。隼人の発言から「あの方=マスターロゴス」である可能性が最も高い。しかし、神代玲花はマスターロゴスの発言を偽ることがあるため、まだ不明点も多い。

Q10.マスターロゴスの目的とは?

「あの方」は隼人に対し、真理を手にする目的を「全ての世界を救うため、それが真の平和へと至る道だ」と示した。マスターロゴスは力を手に入れ、何をしようとしているのか。ストリウスを禁書庫に招き、プリミティブドラゴンの回収を命令しなかった真意とは?

Q11.神代玲花の真意とは?

24話で玲花はマスターロゴスの意向を捻じ曲げた嘘の命令を剣士に伝えていた。マスターロゴスとは別の目的があるのか?煙を使ったソフィアの誘拐や闇黒剣、ワンダーライドブックの回収は誰の意志なのか?また、16話で電話越しに語っていた「次なる計画」とは?

Q12.「はじまりの人」とは?

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第21章「最高に輝け、全身全色。」より

23話でマスターロゴスはストリウスを「はじまりの人」と表現していたが、それは何か?21話での「今から2000年前、全知全能の書の力に魅入られた者達と、その力をめぐる戦いが始まり、初めに光と闇の2本の聖剣が生まれた。その2本の剣により、邪悪なもの達は退けられ、戦いでバラバラになってしまった本を守護するため、ソードオブロゴスが組織された」の説明のビジュアルにでてきた6人であるという可能性がある。「今の」マスターロゴスはそれに該当しないと推測される。

Q13.ソフィアを作った本とは?

25話で玲花がソフィアに尋問した際、ソフィアがある本から生まれたことが明らかになった。そうするとソフィアは何者なのだろうか?

Q14.紫色に目が光った者は誰か?

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第1章「はじめに、炎の剣士あり。」より

1話アバンのタッセルの説明にて「本を奪おうとする悪い奴が現れ」のイメージ映像では、剣士団の中に一人目が紫色に光る者が現れ、裏切ったという内容だった。最初に戦いを始めた悪は剣士の中にいたのだろうか?

神山飛羽真(仮面ライダーセイバー)

Q15.少年期の飛羽真はなぜルナに選ばれたのか?

16話でルナは少年・飛羽真の前に現れた際、「見つけた」と発言し、ワンダーストーリーを手渡していたことが明らかになった。この発言・行動の真意は何か?

Q16.なぜ火炎剣烈火に選ばれたのか?

3話で飛羽真が聖剣に選ばれた理由はブレイズドラゴンを持っていたためと推測されるが真相は明らかになったいない。

Q17.ブレイズドラゴンを手にした理由

15年前に上條大地がカリバー(富加宮隼人)とメギドを退けた直後、少年・飛羽真の手にブレイズドラゴンが握られていた。上條が飛羽真に手渡していた描写はないため、謎のままである。

Q18.セイバーとワンダーストーリーの関係

セイバーがドラゴニックナイトやプリミティブドラゴンの力を手に入れる際、ワンダーストーリーが反応する描写が差し込まれる。これらは何を意味するのか?

Q19.火炎剣烈火の真の力とは?

21話の大秦寺の回想で火炎剣烈火は「聖剣に火を灯さんとする者現れし時、星を結びて力を束ね、物語を終焉へと導く聖剣が生まれる」とされ、火炎剣烈火の力を引き出すと伝説の剣が生まれることが確認されている。飛羽真は烈火に光を灯し、人とメギドを分離する力にたどり着きつつあるが、今後どうなるのか?

Q20.飛羽真はなぜ本の力を引き出す力があったのか?

21話で飛羽真はワンダーライドブックの力の引き出しに長けていることが語られた。確かに、4話から三冊形態を使いこなし、9話ではリベラシオンなしでワンダーコンボの変身も実現していた。なぜ飛羽真にこの力があるのか?「小説家だから」説もあるが真相は明らかではない。

Q21.力を手にする運命とは?

19話でユーリは飛羽真がルナに選ばれたことから「力を手にする運命にある」という主張を持ち始めている。本当にその運命を辿るのか?またユーリは18話でアヴァロンの力を手に入れた飛羽真について「世界を守る運命を手に入れた」とも発言している。この2つの運命は今後結びつくのだろうか。

Q22.手を伸ばす泣いている少年は誰なのか?

プリミティブドラゴン変身時に出現する少年の存在はなんなのか?彼を救い、力を制御することができるのか?3クール目の肝となりそうな要素である。プリミティブドラゴンが求める「あるもの」に関係するのだろうか。

Q23.「剣に生きる」は完結するのか?

9話で飛羽真が執筆を決意した仲間の剣士たちについての物語・「剣に生きる」。17話ではユーリも気に入っているが、仲間割れのため筆が進まない。この作品は完結できるのか?飛羽真と仲間の物語としては重要なアイテムである。

Q24.3人の約束は果たされるのか?

10話で飛羽真が倫太郎と賢人(と芽依)と交わした「俺たち3人。お互いを信じ助け合う。仲間として、友人として。それが俺たちの物語になる」という約束。現状バラバラになっている3人だが、この約束の元に、再び「信じ助け合う」日は来るのだろうか。

Q25.ルナは助けられるのか?

飛羽真が約束にこだわる根本となっている「ルナを絶対に助ける」という約束。組織の真の敵を見つけ出し、世界を守ることが果たしてルナの救出のどう繋がるのか?

 

剣士と聖剣

Q26.新堂倫太郎は組織とどう向き合うのか?

「組織は家族」の立場を決して曲げない倫太郎。組織の真の敵の真相が判明したとき、彼はソードオブロゴスとどう向き合うのだろうか。

Q27.倫太郎と芽依の関係は?

倫太郎が社会経験を積む際や、剣士として悩み成長する側には必ず芽依が支えている。この関係は倫太郎をどう導いていくのか?7話のワンダーコンボ変身時のお姫様だっこは伏線なのか、単なる演出なのか。

Q28.ブレイズは師匠の仇・ズオスを討てるのか?

5話で倫太郎とズオスが対峙して以降、2人の因縁は続いている。23話で「キングライオン大戦記」の力でも倒しきれなかったズオスを倫太郎は倒すことができるのか?

Q29.倫太郎は家族写真を撮れるのか?

『剣士烈伝』で、倫太郎は「家族写真を撮りたい」という夢を語っている。現状賢人の自撮りのみ手にしているが、今後この夢が大きく叶うことはあるのだろうか。

Q30.富加宮賢人はなぜ生きているのか?

13話でカリバーに破れ、闇に消えた富加宮賢人。消滅後に目が赤く光り、唸り声が闇黒剣と重なるような演出もあった。彼はなぜ生きているのか。生きているとしたら闇黒剣の力とは何か。

Q31.尾上そらの母親はどうしているのか?

尾上亮の妻であり、そらの母である女性の存在は本編では語られていない。漫画版でどのように描かれるのだろうか。

Q32.緋道蓮とデザストの関係はどう進むのか?

6話で剣斬がデザストを倒してから続く2人の因縁。剣士烈伝でデザストは蓮を「こちら側」と評価し、20話の乱戦でその確信を得ている。彼らの関係はどう進み、蓮の「強さ」の認識はどう変わるのか?

Q33.蓮は賢人への依存を克服できるのか?

賢人の消滅後、行動基準を亡き賢人に求めてしまっていた蓮。蓮は復活した賢人とどう向き合うのか?

Q34.聖剣は人とメギドを分離できるようになるのか?

23話で大秦寺は烈火が人とメギドを分離する力を獲得すれば、それを他の聖剣に応用できると考えている。今後の展開でそれは叶うのだろうか。

Q35.光と闇の聖剣にはどんな力があるのか?

18話で明かされた「最初に生まれた光と闇の聖剣が交わるとき、強大な力が生まれる」という設定。24話では最光とカリバーの同時斬りでプリミティブドラゴンを変身解除させている。強大な力は今後どのように発揮されるのだろうか。

Q36.シルエットに隠された残り一本の聖剣は何か?

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第19章「炎と光、剣と剣。」より

19話でのユーリの説明「大いなる力の源でもある全知全能の書を作るには、失われた目次録を埋めるための数多くの本と、復活を導く聖剣が必要だ」。そのイメージには11本の聖剣が登場し、3本はシルエットで描写された。2本がサーベラの「煙叡剣狼煙」、ファルシオンの「無銘剣虚無」だとするなら、もう一本は誰が所有して、どんな聖剣なのか。(ちなみにイメージのシルエットのワンダーライドブックの数は19)

Q37.サウザンベースに玲花以外の剣士はいないのか?

10話ではサウザンベースにもノーザンベース同様の剣士がいると説明された。しかし25話時点で登場しているのは神代玲花/仮面ライダーサーベラのみであり、他は「兵士」や「衛兵」と表現されている。剣士は他にいるのだろうか。

Q38.バハトはなぜ復活したのか?

『劇場短編 仮面ライダーセイバー 不死鳥の剣士と破滅の本』で登場したバハトは本来サウザンベースの禁書庫に封印されていた。彼はあの時なぜ封印されていたのか?また、全知全能の書の復活に聖剣が必要ならば彼はまた蘇るのだろうか?

 

メギド

Q39.ストリウス、レジエル、ズオスは何者なのか?

メギドの幹部3人。彼らも21話の説明「全知全能の書の力に魅入られた者たち」のイメージに似た人物がおり、23話ではストリウスはマスターロゴスに「はじまりの人」と呼ばれている。メギドを生み出す彼らの正体は何なのか。

Q40.ストリウスたちの目指す世界はなんなのか?

15話でストリウスたちは「大いなる力」を手に入れる目的を、世界を彼らにとって正しく美しい世界に作り替えることと語っている。人間にとっては地獄かもしれない、その世界とは一体どんな世界なのだろうか。5話でデザストがメギドの目的として語った「ワンダーワールドを乗っ取って支配する」と関係はあるのだろうか。

Q41.ストリウスはなぜ本や剣の知識に精通しているのか?

ストリウスは他の幹部やカリバーにアヴァロンの行き方(が書かれた禁書)、ジャオウドラゴンの生成法、全知全能の書の復活法など、彼らの行動方針を全て指示している。彼はなぜそこまで本や剣にまつわる情報に詳しいのだろうか。

Q42.聖剣を得るためにカリュブディスと禁書で何をするつもりなのか?

人間を使って大量のアルターブックを手に入れたメギドたち。ストリウスは聖剣を得るために、21、22話でカリュブディスの本を完成させた。そして23話で計画を磐石にするべくプリミティブドラゴンの禁書を獲得しようと目論んだ。カリュブディスと禁書の力が聖剣を手に入れるためになぜ必要なのだろうか。

Q43.デザストはなぜ生まれたのか?

5話でカリバーの手によって復活したデザスト。彼が生まれた理由は公式HPでも謎とされている。それは今後明かされるのか?

Q44.デザストの目的はなんなのか?

15話で自らの本を奪い、メギドたちからも解放されたデザスト。20話では「世界を俺好みに染める」という発言もしている。彼好みの世界とは何なのか。デザさんぽにヒントは隠されているのだろうか。

Q45.メギドにされ、消滅した犠牲者たちは救えるのか

16話から開始された人間をメギドし変え、アルターブックを精製する作戦。21話で飛羽真と芽依は沢山の犠牲者の話を聞き、23話で「本にされた人たち」を救い出す方法を捜すことが示唆された。飛羽真たちは消えた人々を救うことはできるのだろうか。

 

タッセル

Q46.タッセルとは何者なのか

1話から登場し、物語の語り部として存在するタッセル。ユーリの友人であり、12話では人間の世界にも降り立っている彼は何者なのか?21話のイメージでは彼にも似通った人物が描かれている。

Q47.タッセルが会いに行った”彼”とは何か?

25話でタッセルは「彼」に会いにいくと家を出ている。その人物とは誰なのか?また、新たなカリバーが出現した24話でもタッセルは荷物をもって家を空けている。

Q48.彼がワンダーワールド物語ワンダーライドブックを持っている理由

21話でタッセルは「ストーリーオブ光剛剣最光」を始めとして、それぞれの聖剣を綴った「ワンダーワールド物語ワンダーライドブック」を所持していることが判明した。この本は何なのか、彼は何故それらを持っているのだろうか。

ルナ

Q49.ルナは何者なのか?

幼い飛羽真や賢人と友人関係であった謎多き少女。19話でユーリは「はるか昔世界を最初に繋いだ特別な女性」との共通点を語っている。彼女の正体も今後の展開に重要な要素と思われる。

Q50.ルナはどこにいるのか?

世界の狭間に消えたルナ。ユーリはワンダーワールドにはいなかったと考えられる。25話ではマスターロゴスやタッセルも居場所を知らないことが明らかになった。飛羽真に語りかけてくる彼女はどこにいるのだろうか。

 

以上、お付き合いくださり有難うございました。

最終回を終えて全て答え合わせができることを楽しみにしています。

 

特撮ファンによる『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想・考察

まえがき

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観た。

初見のインパクトが思考や考察と混じり合わないうちに何か書き残しておきたいという主旨の記事です。ネタバレを含む内容ですので、未見の方はお控えください。

タイトルの「特撮ファンによる」の表現は、「特撮作品と比較して考察をした」ではなく、「この感想になったのは特撮ファンだから」の意味合いなのでそこはご容赦お願いします。

感想と考察

「自己(わたし)と他者(あなた)」、「個人(わたし)と全体(せかい)」、「人と神」、「子供と大人」、「子と親」、「生と死」、「魂と体」、「罪と罰(償い)」、「暴力と対話」、「交流と断絶」、「破壊と創造」、「恩人と仇」、「現実と虚構」、「秩序と混沌」、「希望と絶望」、「コンテニューとリセット」、「方舟と戦艦」。

カッコ書きでそれっぽく書いたが、どれも二項対立でなく、アンビバレントな分かちがたい存在として作品に横たわっている。アンビバレントなもの≒矛盾を受け入れて進むことを是とする作品は他にいくらでもあるが、「自己(わたし)と他者(あなた)」の「暴力と対話」や「交流と断絶」を長年やってきたエヴァだからこそ描けることがあったように思う。

「子と親」の決着がまさにそう。”親殺し”の通過儀礼で成長を描くのは王道というより映画構造の基本形の一つとも言え、それこそ「仮面ライダー」の考察をしようと思えば最初に目にするステップのような気もする。そんな基本形を当たり前と踏まえつつ、『シン・エヴァ』はシンジとゲンドウの対峙は重厚な意味合いを感じた。今作で結果的にシンジは対話を通して、絶対的な父親、大人であったゲンドウを「個人の物語」へ相対化し、対等な関係へと変える。暴力でなく、対話による和解は加持も示した”親殺し”とは異なる価値観だ。そこに至るまでの過程、暴力から対話に移行するまでの段階のシンジの記憶を辿る概念的な戦いの中で、目を引く演出があった。

初号機と第13号機のバトルの街や家のCGに違和感を覚えると、それはミニチュアセットであり、空はホリゾントだった。ミサトの家は東宝撮影所内のセットであった。さらに撮影道具が並び、エヴァたちの着ぐるみまで保管されていた。これらを見たとき、私の時の感覚が一気に2012年に戻った。庵野秀明館長による特撮博物館のあの異常に力の入った展示を思い出したのだ。私もそのミニチュアセットの撮影スポットでスペシウム光線のポーズを撮ったし、『妖星ゴラス』などの東宝特撮映画をちゃんと観ようと心に決めた。「特撮博物館」では「大いなる”虚構”を成すための”現実”の営み(技術)」が一つ一つ具体的に語られていた。それはミサトやヴィレの「奇跡を人の力で起こそうとする」営みにも重なる。また、特撮文化の保存にかける想いは、加持の「種の保存」計画にも通ずる部分があった。

そして、それらの演出が父と子の対峙で用いられることにも意味を感じた。2012年「特撮博物館」、2013年「日本特撮に関する調査報告書」で特撮を語り継承する動きが活発化し、2016年には『シン・ゴジラ』が送り出された。今年2021年には『シン・ウルトラマン』がある。どちらも庵野秀明監督による円谷英二監督作品のリブート映画だ。強引に言えば、ここに作品を介して「特撮の神様」(=父)である円谷英二監督と「特撮ファン」(=子)である庵野秀明監督との”出会い直し”があったのではないかと思う(特撮ファンは「日本特撮に関する調査報告書」での庵野監督の肩書き)。父(ゴジラウルトラマンも含んで)との出会い直しを作品を創ることで行い、自らが父の立場で子である「エヴァンゲリオン」との出会い直しを行った。それがゲンドウとシンジ、シンジとゲンドウの関係にリンクして見える。2人親子が視線を合わせたように、「エヴァンゲリオン」は『シン・エヴァンゲリオン』を以て、「ゴジラ」、「ウルトラマン」に”対等な”神話に終結できたのではないかと思う。方舟に乗せる文化としての帰結。それゆえの終劇であり、「シンエヴァ」への8(9)年間は必須であったとも感じた。

以上をまとめて「エヴァ」は「ゴジラ」で「ウルトラ」なのだというつもりは勿論ない(物語構造で言えばリンク出来る価値観はあると思う)。あと付け加えるなら、『シンエヴァ』は「虚構(≒物語、アニメ、特撮、エヴァンゲリオン)」と「さようなら」しつつも、否定をする作品ではなかったと思う。「(大いなる)虚構」を信じる価値は随所に示されていたし、ソックリさんの絵本のシーンにもそれは顕れている。それに『シンエヴァ』での「さようなら」は希望的な意味もあるのだから。

 

 

【ディケイドVSジオウ考察】門矢士の旅はなぜ終わったのか?

「RIDER TIME 仮面ライダーディケイド VS ジオウ -ディケイド館のデス・ゲーム-」と「RIDER TIME 仮面ライダージオウ VS ディケイド ~7人のジオウ!~の総括・考察記事です。

目次

 

まえがき:「門矢士の死」が表すこと

「終わる・・・ようやく、俺の旅が・・・」

『7人のジオウ!』最終話より門矢士の台詞

またもや門矢士=仮面ライダーディケイドは難題を残して去って行きました。今回の「RIDER TIME」は、本編が終了してから10年以上続く「ディケイドの旅の終焉」を描いた作品です。井上正大さんが配信前にそれに言及してから大体予想はついていましたが、大きな疑問符が付く展開に波乱が巻き起こりました。

•旅はなぜ終わったのか?

•なぜこのタイミングだったのか?

やはりこれだけは答えを出しておきたい、そうでなければ平成を終われない。そんな動機から試みた考察です。もはやディケイド全体の総括になっています。

先に結論めいたことを言えば、「士の死」は「ディケイドの役割」のフェーズが移行する通過儀礼であると考えています。そもそも士の消滅は一度『MOVIE大戦2010』で既に描かれており、今回の『7人のジオウ!』で2度目の描写です。この「ディケイドの役割」や「士の死」が、それぞれどのような意味合いを持っていたのかに焦点を合わせ、士の旅の終わりについて探っていきます。

便宜上、『ディケイド』1話本編から『MOVIE大戦2010』でキバーラに倒されるまでを「フェーズ1」、『MOVIE大戦2010』で復活してから『7人のジオウ!』でオーマジオウに倒されるまでを「フェーズ2」と呼ぶこととします。

ディケイドに託された本来の役割

はじめに、フェーズ1の仮面ライダーディケイド(=門矢士)の役割からみていきます。

『ディケイド』本編の前半は、「9つの世界を巡って仮面ライダーと出会い、「ライダーカード」を媒介としてその力を手に入れていく」形式で進んで行きました。ここには仮面ライダーを記録し、自らに現像・映写していく「カメラ」の機能が見て取れます。それは、バラバラで「混沌化」したライダーを「ライダーカード」というフォーマットに「名前をつけて保存」を施し「秩序化」する機能と言い換えることができるでしょう。

『ディケイド』の紅渡は、その作業を「破壊」と表現していたのだと考えています。つまり、「フェーズ1」にて紅渡から託された士の役割は「秩序化(=混沌のリセット)」によって世界の輪郭を取り戻し、アイデンティティを再固定することという解釈です。

しかし、「ディケイド」と「秩序」をイコールで結ぶと違和感を覚える方も多いと思います。その理由は後述しますが、ここで一旦ディケイドに破壊を託した紅渡について触れておきたいと思います。

紅渡の正体とは?

ここで一旦、ディケイドの物語の前提について立ち戻ります。

まず、本ブログでは『ディケイド』の紅渡は『仮面ライダーキバ』の紅渡とは異なる存在かつ、「パラレルワールドの渡」でもない全く別質な存在であると考えています。付随して、『仮面ライダーキバ』の世界とワタルがいる「キバの世界」も同じレイヤー(同価値)のパラレルワールドではないとも解釈しています。

それは、『ディケイド』の紅渡が、門矢士及びA.R.WORLDの創造主(以後、「大いなる意思」と呼ぶ)であると仮説を立てているからです。この紅渡は人物ではなく、「大いなる意思」の一つの人格。そして、「大いなる意志」のアイコンとして、紅渡の姿があり、剣崎一真の姿があるのではないかと考えています。(ここで「大いなる意志」=東映と切り捨てることはしません)

一度仮説を補足して整理するとこうなります。

「大いなる意思」とは『仮面ライダークウガ』から『キバ』までの物語から生まれた概念的存在であり、それぞれの世界からA.R.WORLD=「箱庭」を創造した。その目的は、門矢士によって「秩序化」させた結果を大元の物語にフィードバックさせることである。

これは『MOVIE大戦』で紅渡が士を倒した夏海に語った内容と概ね合致していると思います。

ここから考えると、門矢士が「物語がない存在」と語られたのは、「大いなる意思」が生み出した「傀儡」であるから、という理屈が読み解けます。彼は機能を果たすためだけの装置であり、キャラクターとしてのバックボーンは本来なかったのです。

さらに「大いなる意思」は、「破壊」作業の活性化の目的で、別の「駒」を用意します。それが、「破壊の観測者」=光夏海、「破壊に反する意思」=鳴滝、「世界のアイデンティティ(=お宝)を発掘するトリックスター」=海東大樹です。本来は、それぞれが「破壊者」=門矢士の作業を進めるための駒すぎず、生まれ持った物語のない存在として設定されていました。

こんな前提でスタートしたディケイドの秩序化の旅。その実態はどうだったでしょうか。

秩序と混沌の両義性

世界の輪郭が揺らぎ、アイデンティティが崩壊することを「混沌」と表現するなら、ディケイドの旅は「秩序化(=混沌のリセット)」とは言えないものでした。「クウガの世界」のユウスケは「キバの世界」のワタルの友人となり、「龍騎の世界」の鎌田の正体は「剣の世界」のパラドキサアンデッドだという始末です。ある世界が別の世界に関与し、相互的な関係となっていく様子はまさに「混沌」そのもの。世界を繋ぐディケイドの旅は「混沌」の性質があるのです。

「秩序」と「混沌」の中心にはもちろん門矢士の存在があります。彼は旅の中で、託された役割をこなしつつ、欠落したアイデンティティを求めていくのです。同フォーマットに綺麗に整理されたライダーカードと歪み澱んだ士の写真の対比が増えていくたび、その乖離は大きくなります。

大きな転換期となるのは「ネガの世界」。士は役割の範疇であった「9つの世界」を逸脱して旅を続ける意志を示し、旅の目的は「アイデンティティ探し」へと完全に舵を切ることになります。しかし、前項で言及したとおり士に物語はそもそも用意されていません。

そこで、世界の輪郭(アイデンティティ)を再構築してきたディケイドの力が、無意識的に士自身に機能します。つまり、ディケイドは彼自身を始め、大いなる意思に生み出された「駒」たちを一気に物語化していくのです。「ネガの世界」や「ディエンドの世界」では夏海、海東が過去や物語が肉付けされていきます。また、「箱庭」を移動する手段であった「異世界移動」は「シンケンジャーの世界」へのワープを果たすことによって、文字通りの「異世界移動」の意味合いが与えられました。

重要なのは、士がこの過程で「大いなる意思によって生み出された”傀儡”が、自らの意志で離脱しアイデンティティを求めていく」という仮面ライダー性を獲得している点です。言うなれば初代(昭和)ライダーの価値観と接続したディケイドの敵は「大ショッカー」として出現し、「BLACK/RXの世界」、「アマゾンの世界」へとつながっていきます。そして、「世界の融合」というキーワードすら、大ショッカーの作戦という物語が与えられていくのです。

夏映画では遂に士自信が物語化し、大ショッカー首領の過去が付与されます。その役割を放棄し再起するドラマは、先ほどの「大いなる意思によって生み出された”傀儡”が、自らの意志で離脱しアイデンティティを求めていく」構造の物語化を帯びた再演とも言えるでしょう。

『ディケイド』の設定や時系列に辻褄が合わないのは、それぞれのパーツを輪郭から急速に物語化した際の副作用だと考えています。そして、ディケイドの強引な物語化で増幅した「混沌」の産物、それが「ライダー大戦の世界」です。

一度目の旅の終わり

A.R.WORLDが大きく歪められた「ライダー大戦の世界」で再び「大いなる意思」が剣崎一真の姿で現れます。大ショッカーを倒しても、「大ショッカーが世界融合の元凶」のストーリー自体が、ディケイドが物語化の一環で生み出したものであるため、「混沌」の解決にはなりません。役割を逸脱し、「混沌」を増幅したディケイドが元凶であることは間違いないのです。

そして、ディケイドと「大いなる意思」の対決は『MOVIE大戦2010』になだれ込みます。

その中で士は岬ユリコを通し、本来の役割と出会い直しを果たすことになります。岬ユリコは誰も認識してくれなかった「アイデンティティの欠落」を背負ったキャラクター。士は彼女への感情から、ライダーを記録・保存し、アイデンティティを確保する「秩序化」の重要性を再認識するのです。ここで現れた「出会った者を忘れない」スタンスは、その後の士の重要な行動理念となります。そして、全てのライダーを記録したあと、「観測者」である光夏海に引導を渡され、「フェーズ1」の役割は満了します。ディケイドの1度目の消滅です。

新たなディケイドの役割とは?

士は世界と物語を繋ぐ旅をディケイドの物語として、「大いなる意思」から解き放たれた道を歩み始めます。しかし同時に、ライダーを記憶する自らの機能の重要性は忘れてはいません。

「全てを破壊し(=秩序)、全てを繋ぐ(=混沌)」仮面ライダー像はここで完成したといっても良いかもしれません。

そんな秩序と混沌の両性質を自覚したディケイドの新たな役割は、世界のバランサー(制御する者)だったといえます。言い換えると仮面ライダーの世界が繋がり、混沌が肥大化した場合の監視者です。平成2期でディケイドが登場したしたのは「平成1期」や「昭和ライダー」、「スーパー戦隊」が交錯した時にのみであり、2つの世界を巻き込き込みつつも、世界の秩序が保たれていた財団Xとの戦いに登場しなかったことがその裏付けとなります。

さらに『仮面ライダージオウ』においては、バランサーとしての機能は更に強化されており(ベルトもアップデートされていた)、混沌化した世界を自らの意志によって破壊出来る力が示唆されました。この時点で、ディケイドの力は失われることもない、「デウス・エクス・マキナ(解決困難な局面に絶対的な力が現れ、混乱を解決に導き、物語を収束させる演出法の意)」の領域へ上り詰めています。

また、『仮面ライダー大戦』ではディケイドの旅が「死に場所探し」であることも言及されました。しかし、秩序と混沌のせめぎ合いに終わりはありません。そのバランサーであるディケイドが「死を迎える」=「役目を終える」時が来るとすれば、それは後継者にバトンを渡した時でしょう。

門矢士の旅はなぜ終わったのか?

ここにきてようやく「RIDER TIME」の話題です。(すみません。)『ディケイド館』と『7人のジオウ!』ではオーマジオウによって極度に「混沌」に陥った世界が舞台になっています。門矢士はオーマジオウを倒し、世界を混沌による消滅から救うという役回りで登場しました。

しかし、2作品ともディケイドはオーマジオウの討伐に失敗します。『ディケイド館』ではクウガ、ディエンド、キバーラという「フェーズ1」の仲間全ての力を結集して敗北。『7人のジオウ!』ではコンプリートフォーム21という「フェーズ2」の10年間で獲得した力を全て投入した姿で敗北を喫しました。 この大敗はバランサーとしてのディケイドの存在否定に繋がっていきます。一度目の敗北の後、はやくも門矢士が消滅し始める様子が映し出されていました。

オーマジオウはそれ程までに強い。同時に、今作で常磐ソウゴは再びその力と繋がる存在になりました。士は敗北の直後、ソウゴに「セイバーライドウォッチ」を託します。それははディケイドからジオウへの「これからの仮面ライダーを記録し、秩序と混沌を制御する役割」の継承を意味する行為です。そして、ジオウは「ディケイド」と「セイバー」の力でオーマジオウを撃退、士が成し得なかった「秩序化(=混沌のリセット)」を見事成し遂げるのです。「ディケイドとオーマジオウ」という「秩序と混沌」の両義性を持つ2大ライダーを超越した常盤ソウゴ。彼の姿を前に、士は安堵の表情で消滅するのでした。最初の消滅では夏海に「過去」仮面ライダーの力を託し、今回はソウゴに「未来(現在)」仮面ライダーの力を託すという対比も興味深いものがあります。 

以上から、今回の士の旅が終わった理由は、絶対的にまで強大化したディケイドの力が否定され、自身を超越する存在(常磐ソウゴ)への継承を果たせたからだと考察します。『仮面ライダージオウ』本編では士の力は揺るぎなく、ソウゴはジオウの力を放棄して終わったため、このタイミングでの継承となったのです。

しかし、いつまた「仮面ライダーディケイド」が新たな役割を持って現れるかは誰にもわかりません。それは遠くない未来な気がします。

「時は渦巻いている。いつかまた会うだろう。我が魔王にも、門矢士にも」

『7人のジオウ!』最終話よりウォズの台詞

 

『魔進戦隊キラメイジャー』はなぜ新しかったのか?(総括・考察)

キラメイジャーの総括・考察記事です。

 

まえがき

働き方改革」が注視されて数年。私が働いている企業でも働き方を変える動きが活発化しました。その一環で取り入れたれた施策が、「カエル会議」という制度。株式会社ワークライフバランスが考案した「自分たちがより良い働き方をするために何をすべきか」を考える会議です。部署でざっくばらんに労働環境の問題点やモチベーション向上方法を考えるのですが、その会議には一つのルールがありました。

それはどんな意見も否定しないことでした。 

キラメイジャーはなぜ新しかったのか

本題です。『魔進戦隊キラメイジャー』が完結しました。

初の令和戦隊というタイミングでありつつ、コロナ禍の試練を駆け抜けた1年間。

本当に楽しく、新たな戦隊像を鮮烈に見せてくれた作品でした。正直滅茶苦茶好きです。

本記事ではそんなキラメイジャーが提示してくれた新しい価値観、戦隊像をテーマに番組を総括したいと思います。

令和戦隊ならではのコンセプト

魔進戦隊キラメイジャーは「使命と自己実現の両立」を掲げた戦隊でした。この特徴は2話で提示された「使命を果たしながら、皆で支え合って個人個人の願いを叶える」方針の元、最後まで一貫して続いていきます。

一人一人が輝くための5人という考え方のため、「私用事あるから先行くね!」と戦いを途中で抜けるシーンが成立しました。個人の夢を投げ出して戦場へ向かった『侍戦隊シンケンジャー』のようなヒロイックさとは真逆で新しい価値観と言えるでしょう。

「公私を両立させた戦隊」と言い換えることができるかもしれません。

スーパー戦隊と公私

「ヒーローの公私」で言えば、ヒーローを扱った作品では結構あるあるなテーマです。

直近の先輩戦隊であるリュウソウジャー』『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』でも言及されています。

前者では、リュウソウカリバーを手にする試練で「使命か仲間か」を選択させ、コウとカナロが別々の回答をするという展開などがそれにあたります。後者で言えば、ルパンレンジャーはそもそも「個人の願い」を叶えるためのチームですし、クライマックスで魁利を助けるために「公共」機関である警察を辞める選択肢を挙げた圭一郎の場面はまさに「ヒーローの公私」をテーマにしたシーンでした。

そして、リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』では、使命のために騎士竜の命を奪わなければならない選択を迫られるリュウソウジャーに、「個人の願い」を果たさせるべく、ルパパトが画策するドラマがありました。

ここにも勿論、「公私両立」の考え方があります。しかしキラメイジャーで扱われた「公私」はかつての戦隊とはレベルが異なります。話のレベルではなく「私(=自己の欲求)」の段階が異なるという意味合いです。

自己実現=輝いて生きること

その段階を説明するために心理学理論であるマズローの5段階欲求」を引用します。人間の欲求には下記の5階層あるという考え方です。

①生理的欲求(生命を維持したい)

②安全欲求(自分や家族の健康や安全を守りたい)

③社会的欲求(誰かと繋がりたい、コミュニティに所属したい)

④承認欲求(自分が集団から存在価値を認めてもらい尊重されたい)

自己実現欲求(自分の持つ可能性を最大限に発揮し、創造的活動をしたい)

①が最も優先度が高く基礎的な欲求とされます。これまでの戦隊が「公私」を天秤にかけるとき、主に「個人」的なの欲求に該当するのは「①生理的欲求」か「②安全欲求」、踏み込んでも「③社会的欲求」でした。

しかしキラメイジャーが「公」と共存を叶えようとするのは「⑤自己実現欲求」という最も高次元な欲求です。

ここにキラメイジャーの戦隊としての新しい在り方の提示があります。(ボウケンジャーのように使命と自己実現がリンクした戦隊は別として・・・)

そして、自己実現を果たすこと」は番組テーマである「輝いて生きること」の定義として位置づけられていました。

ちなみにキラメイジャーは①、②の欲求への触れ方も特徴的でした。

「特訓回」と「パワーアップ回」です。

どちらも新ロボ(キングエクスプレス)や新武器(キラフルゴーアロー)が登場する大事な販促回。ただしプレゼンされたのはイケイケな戦力強化ではなく、「誰でも自分の時間が必要」、「限界は超えないためにある」という、人が輝くためのストッパー的な考え方でした。

カナエマストーン・エネルギアの力で強引に強化を図ろう取るメンバーを充瑠が激昂して止める姿は印象的でしたね。

キラメイジャーが肯定したもの

そんな「使命と自己実現の両立」を掲げた戦隊像を成立させていたのは、「肯定」のスタンスでした。言い換えれば「輝くための欲求は肯定されるべき」という考え方です。

そもそもキラメイジャーの物語は魔進ファイアが充瑠を肯定したことから始まります。そして、キラメイレッドとなった充瑠はメンバーの「個人の願い」を肯定し、一人一人が輝くための戦隊像を打ち立てるのです。

彼が番組の中で肯定したものは、時雨のカッコつけや、5歳になった小夜の可能性、柿原さんのズルさ、少年の母のための作り笑顔、更にはクランチュラとの時間やガルザのクリエイティブまで多岐にわたります。

キラメキに繋がるものは何でも肯定する充瑠は誰かの「④承認欲求」(人が輝く前段階)を満たすことができるキャラクターとして表現されました。

更に、彼のスタンスがメンバーに伝播することで「輝く(自己実現を果たす)ためには肯定し、認めてくれる仲間が必要である」というテーマも現れます。

それが、ガルザに「輝くには一人の方が良い」という考えを刷り込まれた宝路との和解や、精神が入れ替わった魔進を褒めて勝利させる戦法につながっていくのです。

ヨドン皇帝はなぜ負けたか

「個人」を重視するキラメイジャーに対して、「ヨドン皇帝」のみを重視するヨドン軍。実はヨドン幹部たちにも人間と同じような欲求が存在していました。

純粋となったクランチュラは「⑤自己実現欲求」の人。ガルザは「④承認欲求」の人。ヨドンナは「④」と「③社会的欲求」の人。最終回ではヨドン皇帝ですら仲間が欲しい(③)、強い自分になりたい(⑤)という欲求を持っていたことが明らかになります。

それら全てが「弱さ」や「くだらないこと」として否定される中、唯一肯定されていたのはヨドン皇帝の強い自分で在りたいという自己実現欲求(⑤)です。

「変わる、変われる、変わりたい」を仮面に託して戦っていた点を見れば、充瑠と同質と言えるかもしれません。

しかし「輝くための仲間」の存在の有無が勝敗を分けます。自他含めて「個人の願い」を否定してきたヨドン皇帝は、それらを互いに肯定してきたキラメイジャーに敗北するのです。

まとめと「為朝が重要キャラだった理由」

「使命と自己実現の両立」の方針、その成立に必要なものを1年間通して描ききった『魔進戦隊キラメイジャー』。

現在、多くの人が課題として「輝いて生きること」に直面しています。「ワークライフバランス」や「働き方改革」、「副業」、「SNSなどの新たなコミニュティへの所属」もその課題に準ずるものです。

そのテーマを実現した姿を見せてくれた『キラメイジャー』は間違いなく、新時代の戦隊像でありヒーロー像でした。

本当に素晴らしいテーマとシリーズ構成であったと思います。

キラメイジャー最高!!

そして最後にこれだけは言いたい。

キラメイジャーようなチームは普通あり得ない綺麗事です。

そんなファンタジーな存在である彼らと現実世界の私たちをブリッジさせてくれたのは、為朝だったと思います。

現実主義である彼は最も充瑠との衝突が多いキャラクターとして描かれています。当初は「個人の願い」の肯定スタンスですら否定的なほどでした。しかしながら、物語が進むにつれて、為朝は充瑠が起こすファンタジー(≒綺麗事)を最も信じる人物となり、「キラメイジャー=充瑠」を肯定し続けます。

つまり、視聴者のファンタジーでも綺麗事を肯定したい気持ちを丸ごと肯定してくれるのが為朝というキャラクターなのです。

また、彼は5話のリーダーをやりたい本音(⑤自己実現欲求)を明かします。

しかし、彼はそれを”リーダーになること”ではなく自らのリーダー的能力である「的確な指示出し」や「作戦立案」の発揮で叶えていきます。

ここにはチームで”理想の何者か”になれなくても、好きなことを信じる力を発揮すれば、人は輝くことが出来るという「輝いて生きる」ためのヒントが一層具体的なレイヤーで示されているように思います。

「リーダー」という言葉を使ったヨドンナに一人立ち上がり激昂し、充瑠を称える為朝。

充瑠の生還に真っ先に駆け寄って抱き締める為朝。

本当に重要なキャラクターでした。ありがとう、キラメイイエロー!

 

ありがとうキラメイジャー!